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有限会社ジャックスクリーン - 社長の思い

1.創業の思い

今岡さんは、18歳のときに尊敬していた父の会社へ入社した。20歳ぐらいのとき、会社の仕事が減りはじめたころ何かしないといけないということで、飛び込み営業をスタート。ほとんどが、門前払いであったが、歯を食いしばって営業を続けた。あるとき、熱心な提案に耳を傾けてくれた、プラチック工場の社長から見積もり依頼をもらえた。それは、受注していなが、初めて自分で勝ち取った仕事であった。

見積後、初受注となり、その後丁寧な仕事を気に入ってもらい、300万円/月の売上まで伸ばした。順調と思いきや25歳のときにバブル崩壊。大手メーカーが中国に仕事を移管し仕事がなくなる。そして、父と仕事のことで意見が合わなくなり、ある日口論となり、会社を飛び出す。売り言葉に買い言葉、独立することを考え始めた。その時、27歳 すでに結婚はして、子供もいました。資金を貯めるため、奥さんにも働いてもらい、18時まで父の会社で働き、その後パチンコ屋でバイトを1年間続けました。

そして、3年頑張ってダメやったらサラリーマンへ戻ると思い28歳個人事業主スタート。当時、印刷業界、コンピュータへ切り替わる時代であった。それに目をつけ、わからないけど、とりあえずパソコンを買おう。それが他社の差別化になる。そう思い、国金で創業補助金を借りようと思ったが、全額の半分の現金が必要なことに気づく。母親に頭下げ借りにいったところ、父の会社を辞めていることから、当然渋られる。しかし、母親も根負けして、貸してくれました。これが、独立して初めて150万円でパソコンとカッティングマシンを購入した。知識がなかったため雑誌でカッコよかったMACを選択。しかし、パソコンの使い方も知らず、使い物にならないソフト購入したりと、散々な目にあう。そんな中でも、飛び込み営業を続けながらパソコンの勉強を続けました。

その頃、印刷業界ではMACは珍しくMACを持っているだけで仕事がもらえた。それは、データフォーマットが違うということだけで、お客様が困っており、中身を見るだけで仕事に繋がった。やはり、自分の勘は当たっていた。お客様からこんなことできるかと、言われると、やったことがなくても「はい」できますと答えていた。そこまで、やらなくては新参者は、仕事が取れませんでした。その後、飛び込み営業での確率が5割となり、3ヶ月で飯が食えるようになり、少しづつ仕事ができるようになりました。

2.事業の軌道にのるチャンス

仕事が前に進むようになり、さらに他社の差別化に向けての商品づくりが必要と思っていた頃、点字できるかとお客様から言われたことがきっかけでした。そこで目をつけたのが、シルク印刷で点字を作ることでした。当時それができる会社は、関西で1件ぐらいしかありませんでした。そこから独学で点字の勉強をスタート。

しかし、試行錯誤を重ねるが、うまくいかない。そこを諦めずに、進めていくとUVインクが必要とわかり、アルミの板でトースターを使うことでようやく、納得いくものができるようになった。それから、関係先にとりあえず、ばらまく。そうすると、困っている業者から次々と重宝がられる。そして、福祉法で障害者向けの案内板をつける規制が決まり、大きい業者からの仕事が繋がった。その後、その会社との取引が成功し、大きな施設の全体をまかさるようになり事業の軌道にのるチャンスを掴んだ。当時35歳であった。

2.経営の思い(何のために経営しているのか)

稼いでなんぼやと仕事を続けていたが、社員が楽しそうに仕事をしていない。大きな仕事を取ってきても誰も喜ばない。いつしか、稼ぐことだけ考えて仕事を進めていた。そんな時に経営者の勉強会に参加して衝撃を受ける。オレは、何のために経営しているんやと気づく。それまでは、親に認められたいという、それだけであった。昔、やんちゃしていたことを償いたかった。親父の会社を再興したかった。母親にも楽をさせたかった。しかし、親父も息子が抜けて寂しくなり、3年後になくなる。その後、母親も体調が悪くなり、精神科に入れらる。病院転々とし、脳の病気とわかり、治らないとわかる。進行を遅らせるしかなく介護生活になる。施設に預けるが母親は、他界。絶望となってしまった。何のために今までやってきたのかわからず、何もやる気がなくなる。

そんな時に経営者の勉強会で指針セミナーを申し込んでいたのを思い出すが、全くやる気がなく、キャンセルしようと考えていた。このままでは、会社・自分がダメになる。勇気を持って受講。

自分の人生を良くしていくためにどうしたら良いのか。自分の会社を見つめていたら、誰も幸せそうにしてい。人間のやりがい、生きがいは、なんや!それは、共感できることではないかと感じるが、会社の中で誰も共感していない。ビックマウスではダメ!夢を語らないとダメ!共にわかりあえ、喜びを分かち合える、場所を作ることを目指すが大事だと気づかされる。これを目指すのは、当初ハードルが高いと実感した。しかし、これを目指さないと自分の描く目標が達成できないと自分の心に腹落ちすることができました。親に対して何もできなかったことは、後悔はあるが、逆にこの経験を自分の会社を通して、未来につなげていこうと考えた。

4.ピンチをチャンスに

実は、母が亡くなる前も悲惨な経験をする。それは、2008年のリーマンショック。(当時41歳)顧客倒産が700万円の不渡り。そこから立て続けに大口顧客倒産2,200万円の不渡り。さすがに、この時は会社がなくなると実感した。しかし、真面目に経営してきたことで銀行がお金を貸してくれて、苦境を乗り越える。ここから1社依存の体質を脱却することができたのも不幸中の幸いである。そして、印刷業界が不況になる中、新たなチャンスをものにする。大型案件の出来レース入札を逆転で獲得。これが、大手競合から注目を受け、仕事力を見込まれ、大手競合から何と仕事を受注。これがピンチから一気にチャンスへ変えていく。真摯に前向きに仕事をこなす重要なことを感じる。

5.社員に対する思い

45歳の時に指針セミナーを受け、理念を作り、経営指針を明確にした。社員を活かす経営の実践だ。しかし、社員に発表するのに1年かかった。意を決して、発表。意気揚々であったが、それを良く思わない社員もいた。新たな指針で人生を良くしていこう、会社を良くしていこうとお願いしたが受けてくれなかった。創業時当時の人たちは、3人が離れていった。精神的に打撃を受けた。でも、決めたことは、かえれない。自分の信念を信じ邁進した。その結果、意外にも残ったメンバーが成長し、逆に会社が伸びることになった。そして、会社の環境を良くしようと5年前に貸し工場を移転。社員にも好評、なぜかお客にも好評で、自分がいないときでも勝手にお客さんが社内に来るようになった。会社の雰囲気が良くなり、会社が成長していることを社員に感じてもらうことが、自分のテンションが上がることに気付き嬉しくなる。

今では、新卒社員も入社するようになりました。その時、新入社員へ送る言葉として、「入社を迎え」という手紙があります。その一説で「人生にウルトラCや、必殺技がありません。誠実さ、ひたむきさ、情熱で、少しづつ、そしてより多くの人の信頼を得てだんだんと生きる力がついてきます」誠実・情熱・ひたむきさがあれば人間は成長するんだと自分に言い聞かせながら、そんな人になってほしいと新入社員へ伝えています。

今後は、もっと次のステージ上がって、上場企業並みの年収に押し上げたい。そして、社員の家族も心から裕福にしてあげたいと考えるようになる。

6.自社固有の技術

ジャックスクリーンの強みは、シルク印刷の技術である。サイン業界では、シルク印刷の特殊な印刷技術が必要です。他社にない技術があることが最大の強みです。

そして、もう一つの強みは、社員(人材)である。サイン業界でトータルで提案できる企業は、大手企業がほとんどであるが、ジャックスクリーンは、少数精鋭で現場調査、提案、設計、製作、工事、納品と一貫した仕事ができることが最大の強みである。プラス、開拓できる営業(切込隊長)がいる。

第三者からの評価も高い。最近、大手上場企業と横並びで姫路市都市景観賞(TERASSO)を受賞。

7.ビジョン

ジャックスクリーンは、日本だけではなく海外の市場へ参入し、全世界の人達に喜んでもらえるビジネスを展開していきます。その足ががりとして、東京事業所を2019年5月令和元年からスタートしました。今後、アジア系の社員を取り、技術を身につけてもらいグローバルにジャックスクリーンを伝えていくことも初めていきたいと考えています。今後、新しい市場へのチャレンジと今の社員たちが活躍できるポジションを用意することで、ジャックスクリーンの成長を加速していく。おそらく、試行錯誤の繰り返しになる。それでもとりあえず、やってみる。歪みが出ることもあるが、それが必ず、必然となる。

そしてそこにみんなの笑顔が見える。

8.社長の趣味

山登り、写真